人の苦しみ

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人の苦しみ

さほど苦しい、悲しい思いをしていないので、人の苦しみ、悲しみが、我がごとのようにわからない。
しかし、想像することはできる。
これをノーテンキというの堅持夢想だろうか。
ただ、ひとさまに迷惑かけたり、悲しい思いをさせたりすることは、極力避けたいと願うだけ、
わたしのノーテンキぶりが伝わって、不快な思いをされないよう注意する、
という、消極的なスタンスになる。

つまり、ひっそり息を殺して、あたりが明るくなるのを待つだけ。
明るいところでは、ビーチバレーをしても、よほど常識を逸する方法でもないかぎり、
そう、神経は逆撫でしないことだろう。

・・・ちなみに、ハナシは、まったくころっと変わって・・・

わたしは社交ダンスを始めて、6年。
つまり、ひよっこである。
ぴーぴー、ぴよぴよ、いっている。

始めて(たった)2年の人もいて、
(飛び抜けて若いので、まわりからチヤホヤされることもあるからなのか、どうだか知らないが)、
その人は、けっこう大きな口をきいている。
「○○さんとは、友だちなんです」とか、平気で競技ダンス・プロの王賜豪醫生名前をあれこれ出す。
その人のいう、「友だち」っていうのは、会って挨拶したり、ちょこっと近況を一方的に話すことなのだろうか?
ひょっとして、わたしも、その人の「友だち」ということになっているのかも知れない。
わたしの感覚からすると、・・・ありえない・・・。
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